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本質は譲れない




ここ最近ずっと伏せていたが、少しづつだが店に顔を出し始めた。

スポーツ選手でいうオーバートレーニング症侯群みたいなものが原因だが、

ゆっくり休む事が大事らしい。

フタもの展が終わり、何かしら結論を出さなければならないと思っていた。

会期が進むにつれ色々と考えるべき事が頭をうずまいた。

一つの結論として、一人の作家から頂いたメールに全てが詰まっていた気がした。

【この様な時期だからこそ、スタイルを変えない事が大事】

愚直なまでの信念。

自分が常に思っていることだ。

代弁頂いた気がして、とても嬉しかった。

ある作家は表面的なものより、コンサートを大事にするミュージシャンの様に

個展を大事にしたいと言う。

本当にその通りだと思う。

自分の様な人間は、個展と同様に常設を大事にしたい。

都内から外れていても、常設でゆっくり作品を見て頂きたい。

興味を抱いて下さる作家が出来たら、その作家の個展を楽しみにして頂きたい。

当然、常設作品は個展と同レベルのものを紹介し続けたい。

それがお客様に対する感謝だと思う。

自分は個展での売れ残りという概念がない。

当然だが、出展作品はその時の最高のものが出される。

たまたま来た方々と縁がなかったと思うだけだ。

だから縁がある方に手にとって頂くまで待機する。

ウチに一度でも来た作品は、縁があり来たのだから。

今日、取材がある為、店に出て行った。

何でこの土地で始めたのか。

その様な質問は、そりゃ聞かれるわと思う。

都内でないもの。

ただ、何で陶芸なの?と言われ答えても通じないらしい。

そりゃ本来美術は政治の道具になっちゃダメだもの。

ましてや地域文化の低下を招く様な事は言語道断。

文化は風俗に昇華しなければ意味がない。

自分たちの世代で完結させる様なオコガマシイ妄想は考えていない。

何十年・何百年とかけ、文化の意義・文化の本質を紹介するものが

バトンタッチし、地域文化を熟成させていくものなのだ。

ただ、今の地域で活動をするのにも限界がある。

本来であれば美術館などが第一に考えすべき事なのだ。

自分はボランティアでやっていない。

作品をもっと多くの方々に見て頂く事を一番の本質だと考えている。

無論、一貫した方向性を持って。

今、常設で一番見て頂きたい作品が、この有本空玄作・志野茶碗。

本作は、個展時にあえて出展を外した作品。

某陶芸誌で紹介するのが理由だったが、一番を争う茶碗をあえて外した。

当たり前だが、出来は抜群だ。

作品にはストーリーがなければならない。

それは小皿一枚でも。

有本氏はその点、本当に意味を持ち作陶されている。

この茶碗は、お茶を頂くとき合掌する=感謝して頂くカタチを表現している。

お茶のお点前本位でなく、もっと本質的な部分を衝いた作品である。

木箱・陶暦も作家の感謝が詰まったものが、使い手の方々の手に渡る。

信念のある作家は強い。

銀座の並木通りに、とある画家にかけたオーナーが、

信念を貫き運営されている画廊を知っている。

自分は力がない。

ただ、信じる作家を思う気持ちは、どのギャラリーにも負けたくない。

いつになれば力がつくのか、皆目分からない。

それが悔しい。

とても悔しい。

とにかく前を向き、無い頭を使い、進むしかない。




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theme : 陶芸
genre : 学問・文化・芸術

加古勝己 byフタものの世界




2週間にわたる企画展も最終コーナーに入った。

今日は当廊で約2年ぶりに登場する加古勝己の灰赫陶について。

前回個展では1月の非常に寒い時、この暖かい色彩の灰赫陶に店内が埋められ

寒空下のエスプレッソを飲む時のように、心も落ち着いた。

弥生の【朱】からインスパイアされた灰赫陶は、

踊る様な文様・その対比で内側は萌黄色の灰釉が微かに流れる。

日本人が根底に持つ、遠き先祖の記憶が心の奥底からじわりと蘇る。

déjà-vuを見るかの様な、日本人のみ体感する不思議な感覚だ。

この灰赫陶は種類はどうであれ、祭器に近い感じを受ける。

精神性を衝いた作品に思えてならない。

加古作品は海外バイヤーから評価が高い。

日本でも認知される作家だが、更なる上に目をつける外国諸子の方が

日本を裸の状態で直感的に感じる事に尊敬の念を持つと同時に、

悲しみを覚える。

フランス・スイスもそうだが、その国のアイデンティティを感じる作品で

ない限り、感覚的に許容されないのは事実。

陶芸作品は、ヒトが手で加工し初めてカタチになるもの。

自らに誇りを持ち、作家のバックグラウンドが反映されない作品は、

魅力がない。

技術以前の問題だと思う。

足許(日本)をしっかり見つめ、その上でPDCAが実践できる作家・作品でないと

ただのマスターベーションに帰結する。

ヒトは急に高みに行けない。

自分自身を冷静に分析し、意義と信念を整理することが重要だと

自戒を込めて作家・作品・紹介する我々も常に考える事が必要だ。

theme : 展示会、イベントの情報
genre : 学問・文化・芸術

川喜多半泥子のすべて




岐阜県陶磁資料館の【川喜多半泥子のすべて】を見てきた。

自分が見たかった茶碗も展示されており、

腰のヘラ使いを堪能してきた。

やきもの以上にお軸が素晴らしい。

どの様なメンバー・テーマで茶会が繰り広げられたのだろうと

想像を膨らませた。

小難しいことを考えず、久しぶりに楽しめた気がする。

出る時、いつもの様に西田潤の作品からチカラをもらった。

ただいつもより作品が小さく見えたのは気のせいか?

既に外は夕焼けになっていた。

愛知方面を撮影。

あの麓には実家がある。

自分が育った街、多治見。

今回の多治見滞在は短いが、

父親の介護が待っている。

いつも傍にいてやれなく、今の仕事が落ち着くまではと我儘勝手に家を出ている。

許してくれる両親の為にも、早く安心させなければと強く思う。

 三国志の好きな好漢に、魏の荀がいる。

清流派で義に篤く真っすぐな人物だったらしいが、

その様な大人になりたいと思っている。

ただ、棘の道を進まなければならない。

どこまで自分の信念だけで進めるか、この廃れた時代、もしかしたら

信念は単なる邪魔な物になるばかりの様だ。

家族には迷惑をかけ続ける。

小中の良い想い出とともに、

いつも勇気をもらう故郷。

多治見を常に意識できる様、つけた店名。

いつかはこの多治見に恩返しがしたい。

theme : 陶芸
genre : 学問・文化・芸術

下関の夕焼けで思う



何気ない夕焼けに見えるだろうか。

下関で見た夕焼けは、自分の住んでいる街では見えない色だった。

奥行きがあるというか、解放感があった。

陶空間という言葉を掲げているが、

街並や雲間を口縁に例えたならば、自分の記憶に参考として残るかもしれない。

そう思い撮影した。

心身からくるプレッシャーの解放。

やはりストレスのない作品を扱っていきたい。

理想論かもしれないが、

ただ販売するだけのやり方は大嫌いだ。

それであれば金融でサラリーマンを続けていた方が健全だと思う。

どうしたら作品を見て頂ける道筋を構築できるのだろうか。

百貨店や老舗でない為、ヒトの往来を期待しているわけでない。

また、作家のお客様を当てにする様な、他力本願になるほど無責任な

考えは微塵も持ち合わせていない。

本当に好きで、共感頂ける方々と長くお付き合いできればよい。

うちの常連さんでバイクに乗り来られる方がいるが、

昨日も遊びに来られた。

その様な方が自分にとり本当に大事なのだ。

自分のところが更に良い作品をご紹介続けるのが、

大事なことだと思っている。

その為には色々な面で成長しなければならない。

真っ暗になるまでこの空を見続けた。

空に問い続けたら、またたく間に暗くなった。

theme : 旅先での風景
genre : 旅行

北九州という街



本州より北九州・門司を見る。

中学の頃、北九州という地は不思議で魅惑的な街に映っていた。

5つの街が大型合併し出来た街。

政令都市では異色の街。

今は随分変わったが、当時はまだ炭鉱色が残っていた。

鉄鋼など工業地帯・八幡、若松、戸畑、城下町であり繁華街の小倉、

そして港町・門司。

各街に特色があり、魅惑的だった。

数年前、平成の大合併があったが、合併したことにより魅力的な街が出来あがっただろうか。

1+1=1/2になっている気がする。

今はどの自治体も厳しい。

役人が税収のことを考えるのは当然だ。

自分は頭が悪いので小難しいコトは全く判らないが、

ただ、それにより、文化・風俗の沈下がなされるのは辛い。

 話は変わるが、今の街に引っ越して5年。

その前は、渋谷の近くに住んでいた。

小さい頃は東京に憧れていたが、

大人になるにつれ、地域文化の重要さに気づいた。

特に方言は代え難い財産である。

途中、敢えて東濃弁を使う様にしていた天の邪鬼である。

この北九州でも若いコ達は、標準語に近い言葉をたまに話したりする。

情報・交通が一気に短縮されたのは判るが、

門司は門司の、小倉は小倉の、郊外は郊外の風俗を大事にして欲しいなと

思ってしまった。

ただ、起伏の多い土地に100万もの人達が住む、北九州への憧れは

中学から変わっていない気がする。








theme : 和風、和物、日本の伝統
genre : 趣味・実用

若尾経  象牙瓷水指

zoge_mizusasi - 2

若尾経氏の象牙瓷。

氏の代名詞ともいえる象牙瓷は、

青磁と志野を結ぶ独自の手法を用いる。

造形感覚は抜けているが、

若尾経作品でも後々残る作品は、この様なものだ。

ご本人は飄々としているが、

陶芸に対する厳しさは半端でない。

水指も非常に珍しい。

一室に本作を一点置くだけでも、

その緊張感は辺りを支配する。

本当の美術愛好家であれば、

その間の取り方など判って頂けると思う。

theme : 展示会、イベントの情報
genre : 学問・文化・芸術

特別企画展 フタものの世界

tetsu_tobako - コピー


今日からうちの特別企画展が始まった。

因みにマスコミ用に営業用で配布した紹介文は以下の通り、

 本義のオンリーワン。

蓋モノといえど作家により捉え方は様々。

茶入・合子・香炉から一括り出来ない造形など【蓋モノ】の可能性は無限である。

フタを用いる時、流れを止めるケースが多い。

動きのあるもの・静かに佇むもの、各作品の定点を観る側に訴求したい。

当然ながらストーリー性が作品に存在なければならない。

工芸の本質とは、存在自体に必然性があり観る側に余韻・考察力を与える。

蓋モノは本質を具現化した最たるものだと捉えている。

同時に、技術・創造力が試されるものでもある。

。。。かなり硬い文面だが。。。


普通の企画展と違い、特別としたのはうちのコンセプト、

【陶空間】【用の美】【品格】【ロジカル思考】が一番具現化されたアイテムが

陶箱であること。

その企画展のため『特別』とした。

自分が工芸、それも陶芸というカテゴリーで一番大事にする、または見たいと重視するもの。

それは上記4点となる。

どの美術商・バイヤー・ギャラリーも絶対譲れない軸があると思う。

政治力・販売力・人間性などそのオーナーの考えは必ずあると思う。

逆に無ければお話にならないと思う。

それが紹介する立場であると思うし、カラーになる。

その為に、適切な作家・作品のポートフォリオを組成し悩み続ける。

もちろん自分が出来うる範囲内で。

 今回のDM作品は鈴木徹氏の緑釉陶筥。

正直、うちの様な田舎の小さなギャラリーで氏の様な偉大な作家は不似合かもしれない。

同郷の先輩であり、尊敬すべき作陶姿勢。

御無理を言って一年前に当企画展のお話を相談にいった。

同意頂けるか不安だったが、2つ返事でOKがでた。

その時、嬉しいのと同時に凄い緊張感を覚えた気がする。

未だ氏は陶筥を公表されていないと言われたからだ。

自分が求めていたオンリーワンの世界。

実現すると同時に、とてつもないプレッシャーがあり、日々考えぬ時はなかった。

情けない話だが、8月位から時間が近づくにつれプレッシャーで体調を度々壊した。

個展・企画展・出張以外は、考えると身体が壊れて休む日がほとんどだった。

8月、夏の挨拶に突然伺ったとき、焼成前のものを見せて頂いた。

正直言葉が出なかった。

感謝しか頭に浮かばない。

その時、話した言葉もうろ覚えだった。

恐らくちゃんと氏に自分の考え・気持ちが伝わっていないと思う。

氏も個展・伝統工芸展などで多忙を極め、邪魔してはいけないと思い、

極力必要以外のことは連絡していない。

 不器用な自分の気持ちが詰まりに詰まった作品がこのDM作品である。

だからこそ、何方か大事にして頂ける方にお持ち頂きたいと思っている。

おこがましいと思うが、落ち着いた12月に今回の作品の事を、氏に話したいと思う。

氏の緑釉は流れ易く、収まりが難しいと聞いている。

単純に一色だけでない、複数の緑釉を持ち操る。

本作は比較的大きい作品だが、その見た目以上に大きく感じる。

緑釉のグラデーションだけでなく、泥しょうの切れ、造形自体のふくよかさから来るものだろう。

実際に見て頂ければ、そのキレと作品の拡がりを感じて頂けると信じている。

 この作品を筆頭に始まった当企画展。

始めてしまったというか、うちにとり通らなければ始まらない道の企画展。

いつも自分の非力を思わぬ時はないが、

うちの存在自体を問う企画展でもある。

この会期が終わった時、存在自体を無くした方が良いのか、今後継続して良いのか

大きな判断をしなければならないと思っている。





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